洗足池駅の改札を出てすぐ!歴史的史跡やボートも楽しめる「洗足池公園」

洗足池駅の改札を出ると、東京ドーム約1.5個分の広さを誇る「洗足池公園」があります。
公園の面積は約77,000㎡、公園の一周は約1.2㎞あり、周辺を歩くと20分ほどかかります。池面積は約40,000㎡で、都内屈指の広さを有する淡水池もあるんです。

いろいろな楽しみ方ができる「洗足池公園」を今回紹介します!

子どもから大人まで楽しめる公園

公園自体は24時間開放されているので、早朝から夜遅くまで園内に立ち入ることが可能です。

私が訪れたのは夕暮れ時で、ジョギングやウォーキング、犬の散歩をしている人が多い印象を受けました。

ところどころにベンチがあるので、休憩しながら公園を散策することができます。ゆっくりと散策できるので、リフレッシュした気分になります。

園内には、児童向け遊具などがある広場や児童館もあります。たくさんの子どもたちが元気いっぱいに遊んでいる様子もみることができました。

また、近くに大田区立洗足池図書館があり、9:00〜19:00まで開いているので、気になる本を借りて、公園で読書を楽しむのもいいかもしれません。

そして、ボートもおすすめです。ボートに乗れば、池から四季折々の自然や水鳥を観察できますよ。ボートはサイクルボート、スワンボート、ローボートから選べます。時間に余裕のある天気のいい日にぜひ乗ってみてください。

実は、歴史的な観点からも楽しめる洗足池公園

洗足池公園には歴史を伝える史跡などがあります。

  • 勝海舟夫妻の墓
    勝海舟は、江戸城の明け渡しについて話し合うため、中原街道を経由して、新政府軍の本陣がおかれた池上本門寺へ向かう途中、洗足池付近で休息をとったといわれています。

    そのときに洗足池周辺の風景を大変気に入り、明治24年(1891)年、「洗足軒」といわれる別荘を、現在の大森第六中学校の地に構えました。
    勝海舟は、明治32(1899)年1月19日に亡くなっており、彼の遺志により洗足軒の近くに葬られたそう。5年後の明治38(1905)年には、海舟の妻である民子が亡くなり、一度は青山墓地に葬られたものの、昭和20年代に、この地へ改葬されました。

    現在、洗足池のほとりには、二つの五輪塔が並んだ「勝海舟夫妻墓所」があり、地域の方にも親しまれています。すぐそばには、大田区立勝海舟記念館もあるので、併せて足を運んでみるのもいいかもしれません。
  • 西郷隆盛留魂碑
    明治12年(1879年)、戦死した西郷隆盛(1827年から1877年)を悼んで、 勝海舟が私費で建てた碑があります。
    大正2年(1913年)に現在地に移設され、勝海舟夫妻の墓のすぐそばにあります。
  • 徳富蘇峰(とくとみそほう)詩碑
    勝海舟の門下生の一人である徳富蘇峰。
    政治家やジャーナリストなど、さまざまな顔を持ち、明治・大正・昭和と3つの世代で幅広く活躍した人物です。
    大著『近世日本国民史』を著したことで知られている彼による、勝海舟と西郷隆盛の偉業を讃える詩碑があります。
  • 千束八幡神社と名馬池月像
    洗足池西側にある千束八幡神社。平安時代後期に清和源氏が八幡神を氏神として信仰したことから、 源義家や頼朝に関する伝承が残されています。名馬池月像は、源頼朝が愛用した名馬です。
    1180年(治承4年)に、源氏再興の挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いに敗れた後、海路安房へと渡り、武将を従えて鎌倉へと向かいました。その途中、洗足池の畔に宿営し、諸将の到着を待ったと伝えられています。その折、どこからともなく野馬が現れました。突然、源頼朝の前に現れたこの野馬は、その柄が、青い毛に白い斑点で、まるで池の水面に映る月のようであったことから「池月」と名付けられたそうです。

江戸時代から愛される水辺の景色

江戸時代、歌川広重の名所江戸百景『千束の池袈裟懸松』にも描かれた水辺の景観の面影を、今も残しています。

春は桜、秋には紅葉を満喫することができ、他の地域からも多くの人が来てにぎわいます。

鴨や鷺などたくさんの野鳥も見ることができるため、冬は渡り鳥の楽園となるのだとか。

夏には水辺を飛び交うトンボなどの姿も見られます。そして、蛍の幼虫を放流しているので、夏には成虫となった蛍の見物もできるそうですよ。

子どもから大人まで春夏秋冬を楽しめる洗足池公園に、皆様もぜひ訪れてみてください。

洗足池公園
住所:東京都大田区南千束2丁目14−5
アクセス:東急池上線「洗足池駅」改札を出てすぐ

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。